「そうかもしれない」あらすじ&感想 夫が妻を介護する30年前の認知症小説

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STツムジです。言語障害や嚥下障害がある方のお宅を訪問する言語聴覚士です。

 

以前、90代のご主人が80代の認知症のある奥様を介護するお宅を訪問していました。

ご主人はかくしゃくとされていて、とても90代に見えない方だったのですが、奥様が排泄の失敗をしてそのお世話をするときなど、ことばに言えない切なさがあると話されました。

男性配偶者が介護することは、女性とはまた違った面での難しさがあると感じています。

 

30年以上前に書かれた、認知症の介護小説に出会いました。

高齢の夫が認知症(作品のなかでは脳軟化症と書かれています)の妻を介護しますが、その夫も病気に倒れてしまいます。

介護保険もケアマネージャーもない時代の介護は、今と異なる点が多くありました。

 

「そうかもしれない」  耕 治人(こう・はると)著

耕 治人氏は1906年、熊本県八代市生まれ。

1970年に「一條の光」で読売文学賞を受賞。

1988年に口腔底がんで逝去されています。

「そうかもしれない」は3作の短編からなりますが、初出が1986~1988年ですので、亡くなられる少し前まで書かれていたことになりますね。

 

「そうかもしれない」 あらすじ

夫の目線で妻の物語は静かに語られます。

夫である「私」は妻である「家内」を愛情深く、時に冷静に見守ります。

天井から降る哀しい音

妻の認知症は「八百屋や魚屋で買ったものを忘れる」「門扉の鍵を落とす」「財布をなくす」といった症状から、始まる。

なかでも困ったのが「鍋を真黒くされる」こと。

鍋の外側は何ともないのに、内側は真黒で、黒さは洗っても落ちず、落とす薬があるに違いないが、妻は新品を買ってくる。

私(夫)は真黒な鍋はこっそり処分した。

 

ある日、妻はついにボヤを出してしまう。

家計がひっ迫し、保険料が惜しくて、火災保険の契約は解除していた。

妻の様子を見かねた民生委員のYさんが火災警報器と報知器、消火器と非常ベルを設置することを提案してくれ…。

奥様がときどき正気に戻ったように「やりたいと思うことはなにも実行出来ないのよ」などと言うのが、認知症の進行過程のつらさです。

 

どんなご縁で

洗濯もできなくなっていく妻。

入浴にも多大な介助が必要となり、主治医に勧められ、「デイホーム」(今でいうデイサービス)の利用を始める。

福祉課からもらえる介護券を使い、家政婦さんに来てもらう。(今でいう訪問介護)

失禁がみられるようになり、妻をホーム(特別養護老人ホーム)に入居させると決め…。

夜中に粗相をしてしまったときも「あなたにこんなことをさせて、すみません」と奥様は謝ります。ご主人への想いは変わらないように感じます。

 

そうかもしれない

私(夫)は、口のなかに痛みが走るようになり、大学病院に入院する。

放射線治療を受け、鼻から管を入れて栄養をとるようになる。

十二指腸潰瘍、貧血などが次々に見つかり、いっこうに回復しない体。

ホームのスタッフが妻を見舞いに連れてきてくれることを心待ちにしているが…。

タイトルの「そうかもしれない」は誰がどんな状況で、どんな意味で言ったのか。読みどころです!

 

「そうかもしれない」感想 生活環境が違うと介護の大変さの種類も違う

時代が違うと、生活環境も福祉サービスのしくみも違います。

 

家内の寝間着を調べると、裾の法に、褐色の斑点のようなものが、いくつかついている。

急いでシャツをズボンに着替え、家内の寝間着と襦袢、腰巻を脱がせた。腰巻にかなり附着している。

夜間に家内が便失禁をしてしまう場面です。

パジャマとパンツじゃないんです。

寝間着(おそらく浴衣)に襦袢、腰巻、汚れるといっそう大変そうです。

 

ガラス戸をあけると、いつものようにスノコの上にしゃがみ、金盥に入れた私のTシャツとパンツを、洗濯板の上においていたが、低い、静かな声で「あたしもう洗濯ができないわ」といったのだ。

洗濯機じゃないんですね…。

一枚一枚、洗濯板でごしごし洗うって、どれだけの時間と労力が必要なことか。

妻が洗濯ができなくなり、私(夫)は五十年ものあいだ、妻が文句も言わず、洗濯をしてくれていたことに初めて気づきます。

そして、洗濯機を買うことを決意するのですが、もっと早く買ってあげたらよかったのに!と思ってしまいました。

 

他にも驚いたのは、市の相談員さんが初めて訪ねてきたとき、妻を見て「どうも気になる。髪を切りましょう」と突然、ショルダーバッグから、はさみとくしを取り出し、いきなり髪を切り始める場面。

今なら、そんなことをしたら、大問題ですね。

認知症介護小説 「そうかもしれない」まとめ

認知症の配偶者を介護する大変さは、今も昔も変わらないと思います。

夫が妻を介護するとなると、家事に不慣れな夫がより大変な状況におちいることが多いです。

「そうかもしれない」のなかでは、妻の認知症が進むにつれ、私(夫)は、実は家計が苦しかったこと、どれほど妻に支えられてきたかがわかってきます。

自分がしてもらった分、返したいと想いはあっても、体力も時間も残されていない、そんなケースは現実にもよく目にします。

日頃から、家族には感謝の気持ちを伝えたいものですね。

 

映画化もされているんですね!見てみたいです。

コメント

  1. […] […]